
サポートページトップ>活用ツール・使い方動画>マイスターの知恵ノート>コラム#5 考える時間は、どこから生まれるのか
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ICTの活用が進み、タブレットを使った学習が当たり前の風景になりました。
ワークシートや学習新聞、調べ学習も、写真や資料を貼り付け、コメントを加えれば、短時間で整った成果物が出来上がります。見た目は申し分なく、「学んだ形」は確かにそこにあります。しかし、発表を聞いたとき、ふと気になる瞬間があります。書いてあることをそのまま読み上げているけれど、問い返すと答えに詰まる。調べたはずなのに、自分の言葉で説明できない。情報は集めたけれど、それが「自分の理解」として根づいているかというと、心もとないのです。
その理由は、ICTそのものにあるのではありません。「思考の時間が、途中で省略されてしまうこと」にあります。かつて、手書きで行っていたワークシートづくりは、今思えばずいぶん時間がかかりました。文章を写すだけでも一苦労です。だからこそ児童は、自然と考えます。「全部は書けない」「どこが大事だろう」「どう言い換えればいいのだろう」。書く前に立ち止まり、頭の中で言葉を選び、内容を整理していました。この「書く前の時間」こそが、学びの核心ではなかったでしょうか。
タブレットでは、文章は簡単に写せます。漢字も読み方も、意味を深く理解しなくても形にできます。すると、アウトプットそのものは完成しても、その手前にあるはずの思考を通過しないまま、学習が終わってしまうことがあります。ここで改めて考えたいのが、「本」の存在です。本を読むという行為は、決して効率的ではありません。ページをめくり、戻り、考え、また読む。必要な情報だけを一瞬で抜き出すことも難しい。その不便さの中で、私たちは自然と問いを立てます。「この言葉は何だろう」「なぜこう書かれているのだろう」「さっきの内容とどうつながるのだろう」。
本は、答えをすぐに与えてはくれません。けれどその分、考えながら進むことを、そっと待ってくれているのです。
本を読む時間とは、アウトプットの準備運動のようなものです。すぐに書けなくてもいい。うまく言葉にできなくてもいい。頭の中で思考が揺れ動く、その過程に寄り添い続けてくれる。本は、アウトプット前の伴走者なのです。タブレットか、本か。手書きか、デジタルか。その二者択一ではなく、どこに思考の時間を確保するかが問われているのだと思います。そして、その時間を豊かにしてくれる存在として、本は今も変わらず、大きな意味をもっています。情報を集めることは、学びの入口にすぎません。自分の言葉で語り、自分なりの考えとして表現するところまで行ってこそ、学びは力になります。
その一歩手前で、じっくり考える時間「読書」を大切にしていきたいものです。

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